庭師・村雨辰剛の名前の由来は?庭師になった理由と経緯は?

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2020年3月28日の『世界ふしぎ発見!』に
庭師・村雨辰剛さんが初のミステリーハンターとして登場されます!

職業も名前も文字だけみると日本人。
なのに、おもいっきり外国人!

しかもイケメン!

そんな村雨辰剛さんの名前の由来や
なぜ庭師になったのか気になったので調べてみました。

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村雨辰剛さんのプロフィール

出典:Twitter

日本名:村雨辰剛(むらさめ たつまさ)

出身国:スウェーデン

本名:ヤコブ・セバスティアン・ビヨーク

身長:182cm

生年月日:1988年7月25日

年齢:31歳(2020年で32歳)

村雨辰剛さんが庭師になるまでの道のり

村雨さんは小さい頃から
冒険をしたいと思っていて
いつかスウェーデンを出たいと思っていたそうです。

●中学生の頃、日本の魅力を感じる

中学生の頃の世界史の授業で、
日本の歴史に触れたことがきっかけで
日本に興味を持ち始めました。
日本の歴史の中でも特に惹かれたのは戦国時代で
武田信玄や上杉謙信に興味を持ったのだそうです。

村雨さんが武田信玄と上杉謙信の
どこに興味をもったのかというと、
上杉謙信が敵である武田信玄に塩を送ったところだったようです。
「敵に塩を送る」という言葉が生まれたとされている事柄です。
村雨さんは、
敵同士なのになぜ敵を助けるような
思いやりの心があるのだろう…と強く惹かれたのだとか。

日本に惹かれた村雨さんは、
日本語を独学で学び始めます!
スウェーデンの田舎で育ったので、
周りに日本語学校など
日本語を学べるところがなかったため独学で学びました。

親に、誕生日プレゼントは「日本語辞書をください!」と頼んだそうです。

●高校時代のあだ名は「ニホンジン」

プレゼントで親からもらった
日本語辞書を常に持ち歩いて、
高校時代は休み時間になると辞書を広げて
日本語を勉強していたら
いつからか周りから「ニホンジン」と
あだなで呼ばれるようになっていたそうです!w

この頃から、いつか日本に行きたい!と思っていたそうです。

●2004年 16歳の頃、日本にホームステイで初来日!

お祭りに行ったり、お寺や神社を巡ったりと、
スウェーデンにはないものに実際にふれることが出来たそうです。

ホームステイを終えて、
日本に住みたい!とより強く思ったそうです。
高校卒業後はアルバイトをして、
日本への渡航資金を貯めました。

●2007年 19歳の頃、貯まったお金で再び来日!

スウェーデン語と日本語の教師として名古屋で就職しました。
そうやって念願の日本に住むことになります。

●2011年 23歳 東日本大震災でスウェーデンに一時帰国

2011年の東日本大震災が発生し、
当時、海外では日本が滅びる勢いの
報道の仕方をしていたようで、
ご両親がものすごく心配したのだそうです。
ご両親を安心させるためにも、一旦スウェーデンに帰国しました。

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村雨辰剛さんが庭師になった理由

●”自分は何になりたいのか”考え始めていたとき庭師と出会う

スウェーデンへの一時帰国後、
日本に戻ってきてから、
自身の人生と向き合い始めます。
日本の伝統的な仕事に就きたい
という気持ちがあり
何ができるのか考えていました。
そんなとき求人誌を見ていたら、
村雨さんの住んでいる近くの造園業が
求人を出していたのがきっかけで庭師の道へ踏み出す。

村雨さんは日本の「徒弟制度」に
憧れていましたが、
そこの造園業には既に弟子がいて、
弟子を増やす余裕がなかったため、
愛知の田舎の方の造園会社に弟子入りします。

※「徒弟制度」とは…親方・職人と弟子の関係で働きながら技術を学び、修了したら一人前の職人になれる制度のこと。

●2012年 24歳 親方のもとで、庭師の技術を学ぶ

愛知県の「加藤造園」で
親方・加藤剛さんに弟子入りして庭師の技術を学びます。

イチから庭園を作りたいという
気持ちが芽生えてきましたが、
弟子入りした加藤造園は
庭の手入れや管理がメインだったため、
5年間の徒弟制度を終えた後、
東京の会社に転職します。

庭師として働く姿↓

出典:Twitter

●仕事をする上の外国人ゆえのエピソード

仕事中に休憩時間の茶菓子を
お客さまが差し入れてくたときのこと、
他の人には緑茶と和菓子なのに、
村雨さんはオレンジジュースとアップルパイだったそうです。

村雨さんと初めて会うお客さまは
外国人だからと気遣ってくださったのだとか。
ちなみに、
村雨さんは緑茶も和菓子も好きなのだそうです。

●2015年 26歳で日本に帰化する

村雨さんが大事にしている言葉は「不退転」。
不退転の意味は、
しりぞかないこと・何事にも屈せずに固く信じて心をまげないことです。
物事を中途半端にしたくないという
「不退転の決意」で日本国籍を取得して帰化しました。

政治やワールドカップなどの
スポーツの応援でも心から日本を応援するという村雨さん。
日本が大好きを通り越して心は日本人なのですね!
日本人としてなんだか嬉しくなります。

●2016年 タレントとしての活動をスタート

「みんなで筋肉体操」などテレビやラジオで活動されています。

不退転の決意で帰化した村雨辰剛さんの
名前はどうやって名付けたのでしょうか?

次は、帰化した名前の由来について調べてみます!

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庭師・村雨辰剛の名前の由来は?

相撲は力士の名前を決めるのは親方なので、
村雨さんも同じように
親方に名付けしてほしいと頼んだようですが、
親方は「責任が重いから」と断られたみたいですwww

ということで、
名字は親方のお父さんが決めてくれ、
名前は自分で考えたそうです。

村雨・・昭和の有名作家の村雨退二郎から名字をとったそうです。

・・・1988年生まれの辰年なので「辰」を選んだそうです。

・・・親方の名前から勝手に拝借したそうです。

村雨辰剛・・・ってカッコイイ名前ですよね!

武将の名前かのように
強そうな名前になったので、
親方からは、
”名前に負けない人生を送りなさい”と
言われたそうです。

●日本の名前にまつわるエピソード

日本に帰化することで、
国籍が日本になるので、
パスポートも日本のパスポートになります。

ちなみに、
帰化すると今までの国籍を失うことが
条件になっているそうです。

帰化後に、スウェーデンへ帰国した際、
困ったことがあったようです。

飛行機の乗り継ぎ地のドバイで、
「あなたは日本人じゃない!!」と
入国審査でかなり質問されたみたいで、
ヒヤヒヤしたそうですwww

まとめ

村雨辰剛さんが庭師なるまでの経緯は…

●中学生の頃
世界史の授業で日本の歴史に触れ、日本に興味を持った。
誕生日プレゼントに日本語辞書を贈ってもらい、独学で日本語を勉強する。

●2004年 16歳
ホームステイで初来日する。

●2007年 19歳
日本に再来日。
名古屋で日本語とスウェーデン語の教師として働く。

●2012年 24歳
「加藤造園」の加藤剛さんに弟子入りをする。

●2015年 26歳
日本に帰化し日本国籍を取得。

●2016年 27歳
東京でタレントとしての活動をスタート。
庭師と兼業。

庭師になった理由は…
●日本の古き良き文化が好きで、
日本の伝統的な仕事に就きたいという思いがあったから。

帰化後の名前「村雨辰剛」の由来は…

名字の「村雨」は、昭和の作家の「村雨退二郎」からとり、親方のお父さんが決めてくれた。

名前の「辰」は、
1988年生まれの辰年であることからとり、
「剛」は、
親方の名前「加藤剛」さんからとりました。

庭師として、タレントとして
日本人として、村雨辰剛さんの
これからのますますの活躍が楽しみです!

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