hananoreeのページをご覧下さりありがとうございます。
3月6日の【爆報!THE フライデー】に元AKB48の仲川遥香さんが出演されます。
仲川遥香さんは、元AKB48のメンバーでAKB48から姉妹グループのJKT48として、芸能活動の拠点をインドネシアのジャカルタへ移し、今やインドネシアの国民的スターとなっています。
確かにその当時、テレビで
海外の姉妹グループに移る
メンバーがいるということは
なんとなく記憶にありましたが、
正直、名前も覚えていないくらいでした。
今回の【爆報!THE フライデー】に
出演されるということで、
その時の記憶が蘇ってきて、
あの時の人は仲川遥香さんだったのか!
と思い出しました!
AKB48では目立たなかった
仲川遥香さんですが、
ジャカルタへ移ってからなぜ
インドネシアの国民的スターに
なったのか人気のワケに迫りたいと思います!
そして、現地の言葉はどれくらい喋れるのかについても調査!
スポンサーリンク
仲川遥香がインドネシアへ渡るまで
まずは、
そもそも仲川遥香さんが
インドネシア行きを決めるまでを
プロフィールと共に
簡単に振り返っておこうと思います。
出典:Instagram |
愛称:はるごん 生年月日:1992年2月10日 年齢:28歳(2020年時点) 血液型:O型 出身:東京都 |
2006年 2007年 2009年 2010年 2012年 2016年 2017年以降
|
仲川遥香さんが
インドネシアのJKT48に
移籍をしたのは2012年。
この年は、
仲川遥香さんの親友でもあった
前田敦子さんが卒業をした年でもあります。
JKT48への移籍のきっかけは
AKB48のトップとして活躍している
親友の前田敦子さんの卒業が
大きく影響したようです。
AKB48で鳴かず飛ばずの
日々を過ごす中で
将来に対する不安もあり、
前田敦子さんが卒業し新たな道を
進むという決意に背中を押され、
仲川さん自身も新しい道へ進もうと決めたのだそうです。
過去に一度行ったことのある、
ジャカルタ公演でJKT48の
メンバーに直接会ったことがあり、
メンバーがいい人ばかりで楽しかった
という経験もあり、次のステップは
日本ではなく、JKT48として
インドネシア ジャカルタで活動しようと決めたそうです。
スポンサーリンク
インドネシア ジャカルタへ渡ってからの言葉の壁
インドネシアへ渡った直後は、
やはり慣れない土地ということもあり
なかなか苦労をしたようです。
到着して数日後には、
インドネシアでは有名な病気
「アメーバ赤痢」という感染病を患い
強烈な腹痛と吐き気が仲川さんを
襲ったそうです。
周囲からは、
来て早々にインドネシアで
メジャーな病気になるのは
歓迎されている証拠だと言われ、
気持ちを切り替えたのだとか。
そこで、気持ちを切り替えられる仲川さんって良い意味で楽観的だなぁと思いました。
きっとその楽観的な思考が異国の地で人気のワケになっているのかもしれません。
異国の地でぶつかる壁といえば、
やはり『言葉の壁』です。
仲川さんも当初は、
全く言葉が通じず、
日本人のスタッフとばかり行動し
現地のメンバーとの交流は
あまりなかったのだそうです。
その頃は、日本で活動していたときと
ほぼ変わらない鳴かず飛ばずの状況が
続いていたそうです。
その時のご本人の言葉↓
「思い切って海外移籍したのはいいけれど、どこか挑戦することから逃げる癖がついていたんだと思います。AKB48の選抜メンバーからも外れ、自信も失くし、諦めることに慣れていました」
その言葉の壁は、独学で乗り越えたのだそうです!
語学学校に行ったり、たくさんのテキストを買って
勉強したわけではないそうです。
しかも、たったの半年でインドネシア語を
喋れるようになったのだとか!
どうやって勉強したのかと言うと、
新しい単語を知ったら、
その単語をとにかく使いまくっていたのだそうです。
インプットしたら即座にアウトプットするという
とっても理にかなった勉強の仕方をしていたのですね!
カタコトでも積極的に使っていると、
例え間違っていても、周りの人が
教えてくれたそうです。
そうやって、
実践的にインドネシア語を
身につけていった結果、
たったの半年で話せるようになったということです。
実際のインドネシアの番組に出演されている動画です。
インドネシア語は全く分かりませんが
ネイティブな会話をしている
雰囲気が伝わってきます!
ペラペラですね!!
これだけマスターできるってスゴイ!
スポンサーリンク
インドネシアでの人気のワケは?
人気のワケは「アドリブ」にあったようです!
JKT48として、インドネシアの
テレビ番組に出演した際、
曲を披露したあと、司会者と
トークをするという番組構成だったようで、
メンバーもテレビ慣れしていなかったため、
緊張して、うまくトークが出来なかった時、
仲川遥香さんは当時、
カタコトではありましたが、
覚えたインドネシア語をフル活用し、
司会者とのトークをつなげたり、
セットの小道具を使って
その場を盛り上げるなど、
アドリブ連発したことがウケたようです。
ご本人は、そういったアドリブは、
JKT48を知ってもらうためだった
といいます。
言葉がカタコトだからこそ
盛り上げられたのかもしれませんね!
ピンチをチャンスに変えたという
言葉がピッタリです。
カタコトの言葉がウケて
始めは笑われることも多かったのだとか。
笑われることに傷つこともあったようですが
日本と違うキャラで(笑いをとる)
いこうと腹をくくったところ、
結果的に、インドネシアの
国民的スターにまで登りつめました!!
インドネシアでCM20本以上持つなど
多方面で大活躍中のようです!!
まとめ
仲川遥香さんは・・・
|
日本でのアイドル活動から、
大きく環境を変える決意をしたことで、
インドネシアで
大きな花を咲かせた仲川遥香さんの
今後の活躍にも期待です!