瀬戸内寂聴さんが2021年11月9日に天国へ旅立たれたとの報道が。
瀬戸内寂聴さんという出家後のイメージしかないので、若い頃の作家時代の瀬戸内寂聴さんについてまとめました。
そして、出家前に家出して残した娘との関係についても調べました。
瀬戸内寂聴さんが作家になるまでの人生
数え年で100歳、満99歳で天国へ旅立たれた瀬戸内寂聴さん。
誕生~高校時代
瀬戸内寂聴さんは、1922年、大正11年5月15日に徳島県で誕生されました。
出生時の本名は「三谷晴美」という名前で、実家は仏壇店を営んでいたそうです。
現在の名字「瀬戸内」は寂聴さんが高校時代に、父親が親戚の養子縁組をし名字が変わったことで、三谷→瀬戸内へ改姓。
大学~作家時代
高校卒業後は、東京女子大学へ進学。
大学在学中にお見合いがきっかけで、1942年20歳で婚約し翌年に結婚。
その頃、日本は太平洋戦争の真っ只中、結婚後は旦那さんの任地先となった中国北京で生活を送ることに。
結婚から翌年の1944年に長女が誕生。
翌年、1945年に終戦を迎えて、徳島へ帰郷しました。
帰郷後、旦那さんの教え子と恋に落ち、それを夫に打ち明けると、1947年に一家は東京へ引っ越しました。
しかし、瀬戸内寂聴さんは恋に落ちた相手を選び、1948年に家出をします。
当時3歳だった娘さんを家に残し、京都へ。
その当時のことはこう記されています↓
若い恋人がいたため、世間では「夫より恋人の肉体にひかれたのだろう」と「うがったような批評」をされた。
ところが「その時の恋は、まったく精神的なもの」であり、「私たちは肉体的に結びついてはいなかったのだ」という。「性の真の意味が、精神的にも肉体的にも会得されたのは、離婚後何年かたってから」だった
引用:https://www.excite.co.jp/news/article/Jcast_bookwatch_book14298/?p=3
家出をして2年後の1950年に離婚が成立。
瀬戸内寂聴さんは、再び東京へ戻り作家として本格的に活動をスタートすることになったのです。
瀬戸内寂聴さんの出家前の若い頃の作家時代は?【経歴&画像】
出家後は坊主頭にされていたため、髪の毛が長い頃の瀬戸内寂聴さんのイメージは全くといっていいほどありません。
若い頃の作家時代の瀬戸内寂聴さんの画像がこちら↓
出典:https://twitter.com/m3_myk/status/1405519543884156930
作家として活動を始めた頃のペンネームは、出生時の本名「三谷晴美」だったそうです。
そして、無名時代には少女小説を執筆し”少女世界誌”に掲載されるなど作家としての実力を積み上げていかれたようです。
下積み時代を経て、1956年に本格的な作家デビューを果たします。
次第に、少女小説から大人の恋模様を描くようになり、文芸雑誌から週刊誌や大衆雑誌を中心に執筆することに。
1963年に自身の結婚後に恋に落ちた恋愛模様を描いた作品「夏の終り」で女流文学賞を受賞したことで、作家として名を馳せることに。
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瀬戸内寂聴さんが出家した理由とは
瀬戸内寂聴さんが出家した理由は、小説家・井上光晴氏との不倫関係を断ち切るためだったようです。
井上氏とは作家つながりで縁があり、恋仲となりました。
井上光晴氏は既に結婚していたことから不倫関係だったようで、その関係を清算するために出家することを決めたそうです。
そうして1973年、51歳のときに出家し、法名「寂聴」となり、尼僧としての人生を生きたのです。
瀬戸内寂聴さんが若い頃に産んだ娘との関係は?
瀬戸内寂聴さんは出家前の若い頃は、恋多き女性だったのですね。
けれど、命をかけて産んだ子供を置いて家出をした…というのはちょっとショッキングな事実でした…。
きっとそうせざるを得ない、さまざまな状況や葛藤があったのでしょう…。
家出の理由が理由だっただけに、その後、娘さんとの関係はどうだったのだろう…と気になります。
娘さんとは、瀬戸内寂聴さんが出家した後に再会し、和解をしたとの情報がありました。
娘さんには子供もいて、瀬戸内寂聴さんは孫とも会うことができたのだそうです。
まとめ
●瀬戸内寂聴さんは大学在学中に結婚し、長女を出産、その後、夫の教え子と恋に落ち家出、離婚が成立し、作家としての道を歩むことに。
●1956年に作家デビュー。 ●1963年に自身の結婚後に恋に落ちた恋愛模様を描いた作品「夏の終り」で女流文学賞を受賞。 ●小説家と不倫関係となり、その関係を断ち切るために1973年に出家。 ●娘さんとは、瀬戸内寂聴さんが出家した後に再会し、和解をしていた。 |